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ボランティアの元々の本来の意味について〜日本では誤って伝わっていること

日本では『ボランティア』というイメージや言葉は評判があまり良くないようです(^_^;)。。お金をもらえない偽善的な行為にすぎないと言う人が多く存在するし、素人さんの趣味の道楽にすぎないとまで威勢よく言い放つ人もいらっしゃる。。

でも…僕はそっとつぶやく…『ボランティア』の元々の語源の意味は“自らの意思”であり“お金”や“善行”の意味はそもそも含まれてはいない。。と

無償か有償か、良いことをしてるかどうか等、巷で言われることとはそもそも関係がない…それを知る人はほとんどいない。。特に日本人は何でもすぐにお金にすべてを換算してしまおうとする傾向がある。。

善人とか偽善者とか悪人とか分類しようとする傾向がある。でも人間の内なる現実はどれでもあり、かつ、どれでもない。。

もちろん、お金は生きるために必要で大事なことであることは疑いようがない。でもすべてをお金や数字に変換できないところ…それが人間性の魅力だと光だとも感じる。

海外では常識である“ボランティア”の当たり前の意味が日本ではお金や偽善かどうかなどと結び付いて間違って認識されている。。だから日本には、海外に比べてそもそもの本来の“ボランティア”が社会になかなか根付かないのだろうと感じています。

“インフォームドコンセント”という言葉が日本に入ってきて、“説明と同意”と訳されて、そもそもは患者さんが自分の病気などの情報を知る権利を尊重され、それを元に自由意志で治療などを選択できるための概念なのに…機械的に段取り的に病気の宣告や余命宣告を簡単に無責任に伝えるように日本ではなってしまった。。それはそもそもの『インフォームドコンセント』の意味とは違うことをほとんど知られていないのと同じように。。

病院や施設その他で生きる目の前の皆さんに会いに行き、“自らの意思で”共に過ごすこと、“自らの意思で”音楽を共に生きることに意味を感じ会いに行くこと。

依頼側と当事者とボランティアは、“対等の立場”で協力し想いを重ね合いながら、“お互いがOK”な共存し共生できる世界や瞬間を創造していく…それが音種♪的なボランティアの理解であり、そもそものボランティアの語源に基づく活動です。

そもそもの意味に基づく“音楽ボランティア”は依頼されてお届けするとしても、病院や施設とは雇用関係にはないからこそ、リクエスト曲ばかりやるコンサートのような“やってあげる”かたちではなく(それもお互いの想いが一致していればそれでも良い)、自由に皆さんを感じ取り、それを音楽に紡いでく。。限定された音楽でなく、できるだけ多様な…何を届けたら良いかいつも悩みながらも自分の音を届けるからこそ、心の宿った音楽だと受け取り感じてくれる。。それが“音楽ボランティア”。高齢者用、子供用、病気の人用、障害のある人用と決めつけてしまいがちな固定された音楽を、自由に多様に解放したい。もちろん、だれもが楽しめる定番音楽も大事にしながらも。

コンサートホール、カフェやライブハウスから路上や個人宅などで始まるセッションまで…それに触れた人が純粋に感動したり楽しかったら患者さんや障害のある方々も医療スタッフも同じく感じる力を持ってる同じ人間なのだから。。。伝わらないと思い込んでしまうのはなぜだろう。みんな感じる心を持ってる自然な純粋な心をもつ人間なのだから(^_^)

そして、医療福祉の現場に伺うのは、自分自身も、家族も、大切な人も生きてる限りいつかは患者さんや利用者さんになるのだから…。自分がそこに居たら、家族がそこで生きる時が訪れたら…どんな医療福祉の世界にしていくのかは医師や看護師、ケア専門職におまかせしておけばよいのではなくて、そこが人間らしく、心に光が差し込む場所となるには、あらゆる人のちからがちょっとずつでも結集したら実現できるかもしれない。

本当は僕たち自身のすぐそばにあることでもあるのだから。。がんは国民の半分、難病にだってかからない保障はないのだから。

医療的福祉的な必要な処置だけでなく、いのちある限り…関係のあいだにいのちは生きる。そのひとつに“音楽”はあるのかもしれない。

ボランティアは無償の自己犠牲的な奉仕活動ではなくて特に音種♪の活動は、施設や病院、依頼者の方と、当事者さんとご家族と、ボランティア活動する人が、

『みんなが“対等に”“お互いの存在を生かしあう”世界を現実化しようという試みが結集され共に生きようとすること』

と考えて、でも、ゆる~く(笑)

“末永く、スローに”活動していけたらと想う。(^_^)

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